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2010.07.22 Thu
「借りぐらしのアリエッティ」

監督:米林宏昌
企画・脚本:宮崎駿
プロデューサー:鈴木敏夫
原作:メアリー・ノートン
脚本:丹羽圭子
美術:武重洋二、吉田昇
主題歌:セシル・コルベル
アニメーション制作:スタジオジブリ
製作国:2010年日本映画
上映時間:94分
配給:東宝


とある郊外に荒れた庭のある広大な古い屋敷があった。
その床下で、もうすぐ14歳になる小人の少女・アリエッティは、
父ポッドと母ホミリーと3人でひっそりと静かに暮らしていた。

アリエッティの一家は、屋敷の床上に住むふたりの老婦人、
女主人の貞子とお手伝いのハルに気づかれないように、
少しずつ、石けんやクッキーやお砂糖、電気やガスなど、
自分たちの暮らしに必要なモノを、必要な分だけ借りて来て暮らしていた。

借りぐらしの小人たち。

そんなある夏の日、その屋敷に、
病気療養のために12歳の少年・翔がやって来た。

人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。
それが床下の小人たちの掟だったが、アリエッティは翔に姿を見られてしまう。

「おまえは、家族を危険にさらしているんだぞ」
アリエッティは、父に反発する。
「人間がみんなそんなに危険だとは思わないわ」

アリエッティは、生来の好奇心と向こう見ずな性格も手伝って、
次第に翔に近づいて行く。
アリエッティの家族に大きな事件が迫っていた。

ーーー人間と小人、どちらが滅びゆく種族なのか!?



ジブリ映画です。
監督は宮崎駿ではないのですが脚本と企画に関わってるらしい。
どこまでやってるのかは謎ですが…

妹と一緒に見に行ってきました。

以下ネタバレ含む感想なので読みたい方だけ続きからどうぞ。


人間の物から少しずつ借りをして暮らす。
という名目で人間の家の床下に住んでいる小人の物語。

しかし映画を観ていて疑問が湧いてくる。
「借り」と称してるからには何かしら返す事柄の描写があるのかと思ったのだが、特に何も無いらしい。
例えば座敷童子のように小人が居ると幸せが舞い込むだとかそういった話があるのかと思いきや全くそういう話は無い。
と言うことはそれは借りではなく貰うもしくは奪うに値するのでは、とつい夢の無い事を思ってしまった。
言葉も通じて人の形をしていても人間外の種族であるのだから人間のルール無用なのだという事か。

そこで少量ずつとはいえ勝手に人間の物を取って行ってもいいという描写をあえて入れているという事を重点において考察してみる。


ジブリ映画にはこういった本筋とは別個のメッセージが多い。
失われた文化への強いノスタルジーと自然と人間の共生を永遠のテーマとして皮肉った話が基本にあると思われる。
「風の谷のナウシカ」などでは強烈なテーマ性があった。
それ以降の映画においては意図的に本筋にそのテーマに近い意図を絡めていく部分が増えている。
はっきりと表面化していない映画も多いので見た人の受け取り方次第と言われても仕方ないが、宮崎監督が関わる映画ではそれが主に使われている事が多い。
もののけ姫がその集大成だろう。

今回の映画はテンポの良さだとかストーリーの面白さだとかキャラの表現だけに注目していると展開も地味だし抑揚も少なく面白みに欠けた作品に思える。
しかし先の説明における意図を含んだものとして見てみるとまた違った見方が出来る映画だ。


「借り」というものはそのまま人間がしている事に置き換える事が出来る。

小人種族と人間を自然と人間に置き換えて立場を変えて見て欲しい。
その概念で捉えてみると人間も小人達と全く同じ事をしているのではないか。
食べるため、生きていくために自分よりもより大きな存在から少しずつ「借り」をする。
人間も地球という大きな存在から少しず借りをして生きているようなもの。
つまりアリエッティ達は人間世界の縮図なのではないだろうか。

主人公アリエッティの父親が言う「かり」という言葉のイントネーションがどこか「借り」ではなく「狩り」に聞こえるのはもしかしてあえてそうしている可能性があるのかもしれない。
あくまで憶測ではあるが声を当てた人のクセとかでは無い気がする。


翔という少年が家にやってきて、アリエッティは小人の掟を破り姿を見られた。
その後借りの最中にも見つかって存在を確信されている。
結果、姿を対峙させて会話までするようになる。

これが何を意味するのかというと、互いに生きる世界を隔てていた境界線を越えてしまったという事だ。
アリエッティは最初から注意はしてたものの自己の考えから人間に近付いていっている。
人間側からも借りる予定だった砂糖を渡す行為や、住居にキッチンを無理やり設置もするようになる。
掟は人間との境を確立するためのものだった。
少年も小人に介入すべきではなかったし、小人側も人間に見つかるべきではなかった。
まぁ以前からお手伝い婆さんに見つかっている時点でアウトな訳だが。


人間と小人のどちらが滅び行く種族なのか。

公式サイトの解説でも表記されていたが、本来生き物とは互いに共存共栄しあって生きていくのが自然だった。
共生という立場では生き物は皆平等のはずだった。
しかし何かが原因でバランスを崩せばそれはどんな生き物でも滅びの一途を辿る。
境界線などなかった筈の生き物同士に相反する別個の世界が生まれてしまったのは何故か。
映画の中で伝えたいのはそういう部分なのだと私は思う。

このシナリオが面白いと感じるかどうかはそこに気が付けるかどうかだな。
主軸のストーリー内容は割と良かったと思う。

アリエッティと翔の間には異種族であるが故に叶わない恋の切ない感じがあった。
あえて恋愛要素を盛り込んだのはハヤオの仕業らしい。
最近の傾向をわかってやがる…。
今は同じ人間同士でさえもうまく恋愛が出来ない時代。
自分や現実に無い物を求めるからこういう異種恋愛のほうが意外と見てる側からしても感情移入しやすいのかもしれない。
それならある意味皮肉感もあるが。


「君達は滅び行く種族なんだ。」

物語内で翔が言い放つ台詞で泣きそうになるアリエッティ。
そりゃ好きかもしれない人にそう言われたらなぁ…悔しさや反発心が混ぜこぜになるよな。
翔が何故そのような台詞を言ったのかと考えると、自身の命が明日をも知れない身体だからとしか言いようがないと思われ。
小人を信じたい、見てみたいと願う幼い純粋な心と死を覚悟した諦めにも似た大人びた精神が混在していたからこそ、あの冷めた対応の反面で必死に守ろうとする行動を起こした事に合点がいく。


しかし所々おかしい描写も多かった。
何故翔が小人の生息地をあんな簡単に見つける事が出来たのか。
押入れの下だなんてそんなあっさり見つけやすい場所に何故住んでるのかとか。
小人を大事にする雇い主に対してお手伝いのおばさんがああも執念深く小人を捕まえようとしてたりとか…

その辺のキャラの動向において説明部分がすっぽ抜けてる感は否めない。
原作ありきの映画だと結構こうなるんだよなぁ…

でも映画って全て見せて説明すればいいってものでもない。
感じ取る部分と自由に勝手に解釈する部分があってしかるべきだと思うし、
誰もが完璧に同じように理解出来る物語なんて無いからこれはこれでといった感じ。
最近の劣化したジブリの中ではまだ悪くは無いかな。
ポニョよりはまだマシだった。

あとポニョで思い出したが、最近のジブリは水の表現がやたら丸いというかぷっくりした水滴描写が多い。
普通の状態だとあれは個人的に好きではないのだが、今回の小人が使う生活水に関してはいいと思う。

普通の人間世界も同時に存在するなら地球上の重力差は変わらない訳だから小さいポットから普通に水がジャーっと流れたら逆におかしいものね。
子供時代に小さな人形用のコップなどで水を入れてみた事が無い人には分かりにくいだろうが、小さい容積の入れ物に水を入れると表面張力でぷっくりと盛り上がるようになる。
入れ物から出すときも水滴のように丸く出てくる。
物理学的に見てもあれはリアルで正しい表現だったな。
ああいう使われ方なら水滴みたいな水でもいいんだけど…他はちょっと。

最終的に家を出る事になった小人達。
それに協力した途中から登場する別の小人少年、スピラの格好は随分原始的である。
あのような野生的な格好で現れたのは小人の生きる世界がファンタジーではなくサバイバルだという感を出すためで、そしてこれからアリエッティ達が今までとは違う生活をしていくという表現だったのではないかと思われる。


総評して言うと、この映画はかなり見る側に見解力と想像力が必要かと。
低年齢の子供向けでは無いのは確かです。



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